そこは懐かしくて、新鮮な場所。

新しい大学での日々。周りの人々も、教室の場所も、履修の仕方も分からずあたふたしているけど、なんとか初めての一週間を過ごした。
自分で決めたことだけど、なかなか慣れずに疲れて心が折れそうになる。将来のこともそろそろ考えなくちゃいけないのに。不安だし、イライラして人に当たるし、情けなくなる。でもやっぱり自分で決めたことだし、新しいことが学べるのはやっぱり楽しいことだから、何とかやっていこうと思う。
新しい友人ができたり、高校の同級生と授業が一緒だったりして、今は少しづつではあるけれど馴染めてきているかなぁ...

ちょっとずつ成長できるように、また明日から。

ひとつに'は'なれない

宇多田ヒカルのDistanceの中にある歌詞。
ひとつにはなれない
ひとつには、なれない
ひとつに、はなれない
彼女は「ひとつには、なれない」と歌っているのだけれど、区切る位置を変えるだけで反対の意味になる。
英語でしゃべらナイトに、ショーンレノンが出ていた。彼は自分の事を、イギリスと日本の「ハイブリット」だと表現していた。そして、民族の発展などの話に触れて、世界は一つになっていくと話していた。
彼の父、ジョンレノンもImagineの中で、
The world will live as one.
と歌っている。
国境のない世界、宗教のない世界を想像してごらん。ジョンは、僕たちにそう語りかける。宗教や国境は今も各地で対立を招き、人々を傷つける原因となっている。ジョンはそんなことを伝えたかったんだと思う。たぶん、ショーンの一つになっていくという考えや、ジョンのImagineの中には宗教や国境を「壊す」という意味合いはなかったんだと思う。だけど、じゃあ「ひとつ」になるっていうのは一体どういうことなんだろう。
「ひとつ」になる。それは、宗教や国境とかの差異があること自体を「否定する」ことではないと思う。きっと、大小さまざまな集団の差異があることを前提として、自分自身と他者の両方を「理解する」ことが、「ひとつ」になることなんだと思う。
そもそも、宗教とか国境とか人々が持っている差異そのものも変化していく。ショーンが自分のことをハイブリットだと語っていたように、文化は様々な形で融合していく。そう考えると、「ひとつ」っていうのは、差異がなんにもない理想的な状態ではなく、いろんな差異が混ざりあったり、影響しあったりして生まれる流動的な状況なのではないかと思う。

It's a small worldの歌詞はこんな風になっている。
It's a small world after all.
「結局は、最終的には」という意味の「after all」という歌詞の部分にも、「ひとつ」になるっていうことの意味が込められているんじゃないかと思う。僕たちはそれぞれ異なっているけれど、結局は同じ世界に生きているんだって。
ひとつにはなれない。
この言葉は僕らの生きている世界を表現しているのかもしれない。
僕たちは、様々な背景の上でこれまで生きてきて、違った考え方や慣習を持っている。アイデンティティという言葉ほど大げさなものでなくても、僕らは人との違いの中で自分自身の存在を確認している。
だから僕たちは「ひとつには、なれない」
だけど、同じ地球で今を生きていることに違いはない。
だから僕たちは「ひとつに、はなれない」
ひとつにはなれない。そんな関係の中で、きっと僕らは生きてる。

充電期間。

課題に追われる日々が終わって、だらだらした毎日。
マリオカートばっかりやってる。
忙しい時はやりたいことがたくさんあるのに、いざ終わってみると何にもしないまま。
そんなこんなでいつも後悔してばかりだから、あと一か月弱は有意義に過ごそうと思う。
とりあえず買ってある本を読みたい。情報学を勉強しているのに、web進化論さえ読んでないし...ミンスキーの本も買ったままだから、なんとか読み切りたい。
あとはプログラミングの勉強。やっぱり、思った事をなんらかの形にできるのは楽しいから。


四月からまた新しいスタートが切れるように、しっかり充電しておかなくちゃ。

僕が言葉にすることができること。

あっという間に三月に。
引っ越しの事を書こうと思っていたのだけれど、うまくまとめることができずに更新が止まってしまっていた。いろいろと書きたいことがあっても、それをどんなふうにまとめればいいのか分からなくて...

村上春樹が「ノルウェイの森」で、記憶が鮮明な時はどこから書き始めたらいいのか分からない、というような事を書いていた。
もちろん、日記はその時感じた事を書き記しておくから、意味があるのかもしれない。けれど、すぐに言葉に置き換えることが難しいこともある。思い出を振り返って懐かしむのとはちょっと違うのだけど、後日になってからの方が、その時の感情を上手く表現できる気がする。日記を書くこと自体、その日の出来事を振り返っている訳だけど、それよりもっと時間がかかるっていうのかなぁ。
でも一方で、完璧な言葉なんてないとも思う。振り返れば振り返るたびに、「僕が言葉にすることができること」は変化していく。だからこそ、僕は想いを言葉に変えて残そうとしている。その時しか書き記すことのできない、その時の記憶として。

なるべく新鮮な気持ちを残しておきたいという想いと、少し時間をおいて熟成した形で自分の想いを残しておきたいという想いが両方ともある。
どちらか、折り合いをつけるのは難しいけれど、日記はできるだけ新鮮な感覚を書き留めておきたいなぁと思う。そして、日々書きとめていく中で、それがまたどこかで新しい気付きや考えに結びついていったらいいのかなぁと。

上手くまとめられないけれど、とりあえず今僕が感じていることをここに。

引っ越し。

前の日の夜に、隣の同級生がバイト先から寿司をもらってきてごちそうになる。
おいしいお寿司と気遣いに感謝。


おじさん二人が手伝ってくれて、引っ越しは無事に終了。
てきぱきと物が運び出されていって、あっという間におしまい。
冷蔵庫と洗濯機は残したまま。
次の入居者が素敵な生活を送ることができますように。
きれいさっぱりした部屋に、初めて来た時とは違う印象を受ける。
小さな床の傷とか、色移りした壁とか、二年分の生活がそこには残っている。僕だけが感じる愛着。


短い間だったけれど、本当にお世話になりました。